フランシス・ベーコン展の危険性

フランシス・ベーコン展の危険性

 私はフランシス・ベーコンが一番影響を受けた画家である。ベーコンへの愛があります。 言っておきますが、

フランシス・ベーコンはピカソの系譜ではなく

フランシス・ベーコンは シュールリアリズムの新譜 です。

 

今回のフランシス・ベーコン展では登場してきませんでしたが、過去に彼はシュールリアリズムの公募展に出品して落選しています。おそらくこれからベー コンをよりビジネス化していく中で、神秘性やオリジナル性を強調するためにシュールリアリズム系の着眼点は、マイナスな過去の情報であっていずれは 抹消されていくのでしょうね。ピカソが最も商業主義的な画家であった事実ことを一般的には広まってはいないように。 ベーコンをプッシュしたい人は歴代のアーティストの中で最上位に位置するピカソに並ぶとして押し上げたいのでしょう。 『ピカソの系譜』とはずいぶんと 大衆を舐めているようなコピーですね。物事を理解していく上で何かと比較してその差異を理解していく方法は悪くないし導入やトッカカリとしてはそ の方法でも良いとは思いますが、ピカソの系譜という穴を掘り進めると【ヒヨコはニワトリの系譜である】というような驚きの新事実し か出てきませんからね。 過去の文化や過去の作品をやり直し、外的要因を自分のものとして落とし込んで、すばらしく新しい作品に作りなおす能力というのを着眼点として 考えた場合 、確かにピカソはその筆頭といえるでしょうが、バンクシーやマネ等の多くの、いや全ての作家はその作業をしています。

そこで、 【オリジナル】とはなんなのかということに触れなければならないですね。 そもそも一般的に理解されているような【オリジナル】なんてものは存在しません。 簡単な話 私やあなたもオリジナルではありません!だってママとパパから生まれてき たのだもの。 私は違いますが、もしもあなたがある日突然なにもない空間からパッ!!と発生したのならば、あなたはオリジナルです。 当然ありえないのです。その風呂敷を広げていくと【オリジナル】に該当するのはビックバンくらいなものではないかな・・・ ですから、私やあなたのレベルを【オリジナル】と言わなくてはいけません。 そしてそれは、なにも人間だけに限った話ではなく作品にもいえることで、芸術作品もそうですし音楽や映画にも同じことは言えます。 北野たけしの映画の世界観もそうとうなパクリだったのかと思える作品がありますが、それはパクリではなく北野監督が撮ったオリジナルなのです。 ベーコンの作品に対して【恐怖】とか【暴力的】とか、そんな何十年も前にベーコンに貼られたラベルを頼りに彼の作品を楽しむのなんてよしましょうよ。 日本ではあまり人気がないようだけれどもビート作家達の思想を理解していけば、今や神格化されスタイルとなってしまって 、うがった見方のしにくくな ったベーコンの作品をより深く理解し受け止められると思いますし、なによりそれが一番の近道だと言えるでしょう。 彼の作品はある時代からビート・ジェネレーションを礎とし制作されたものが多いのです。 例えば『ファン・ゴッホの肖像のための習作』は1957年に制作されています。 アレン・ギンズバーグは1958年にパリで『ファン・ゴッホの耳に死を』という詩を制作しています(この一年の誤差は別段問題にはならないと思います) ギ ンズバーグの詩の内容からするとベーコンの作品は、なるほど納得の絵画なのです。 ビート作家から影響を受けて生まれたベーコンの絵画は相当数、逆にビート作家達も自分達のことを理解し平面作品にしてくれたベーコンを重宝し ていたようです。 ベーコンといえば【叫ぶ】人物だが、あれも単純な話でビートである。
もしもあなたが美術館でフランシス・ベーコンの作品に魅力を感じたのならば画集の購入と共にインタビュー本と ビート・ジェネレーションの作家の詩集を購入するとベーコン研究がより有意義なものになるでしょう。


 インタビュー本系の読み始めにおすすめなのはコレ 
この手の本は複数あるけどこの本はベーコンとインタビュアーの距離感の良さ、それに翻訳者が上手でおすすめ。

ビート作家の詩集で参考になるものはコレ
ビート・ジェネレーションの思想は日本的精神が入っているなと私は思いますし、現代人の心理とも共通点が多いと思います。

 今さらながらですがビート・ジェネレーションは注目しておくべきカルチャーなのではないでしょうか。ベーコンがスタイルとして認知されるならその根底にあ るものとして尚更です。 ビートの作品は翻訳はすごく難しい部類の詩だと思うので掘り下げるなら、ネイティブレベルの英語理解をもって原文を自分で読まなきゃいけないので しょうね。ベーコンもそんなことがあったらしく外国語を学んでいましたね。確か実のところオペラをもっと理解したいからとか。
私がベーコンに魅了されるポイントの一つは絵に描いたようなダメな画家像がそこに あること。
例えば パトロンに制作費も含まれたお金を貰えば、ほとんどルーレットにつぎ込んでしまいます。理由は運を試したいから、運は 画家には必要な要素だからとのこと。 ルーレット=運。その運を重要視したベーコンはルーレットの絵画も制作しています。 それにベーコンのキャンバスの裏地に描く手法は、新たなキャンバスを買う金が無かったからだそうです。ギャンブルは彼にとって必要なことなのでしょうね 。 飲んだくれのダメオヤジ像とベーコンはなんら変わりませんけどね。ベーコンもよく酩酊状態で作品を制作していたらしいですし。
例えば ローマ教皇のいくつかの作品についても、その首をパトロンのものに置き換えて『あんたは偉い!』 事実上世界で最も偉い、偉いというか神ですか。そんな存在に自分が描かれたえらパトロンも大喜び!! ベーコンにとってもパトロンの存在は神とそう換わらない存在なのだろうけど、手口が強行なわけです。
例えば 自分は哲学者のフランシス・ベーコンの子孫だと言い張ってみたり。。事実関係のとれない話です。
例えば 後期の作品は単純化されてやる気なし。ベーコンの場合の単純化は名人の領域的な単純化というよりも 初期の傑作の依頼注文が主だったからでしょうな。イヤイヤ描いているに違いありません。 でもちゃんと依頼注文の作品を制作しているところをみるとプロですな。 作品中のここが良いとか、ここが上手いなどの馬鹿げた話はここではしませんが絵画の内容も申し分ないですし 例えをあげればきりのないリアリティーのある画家像が私にはたまらないのです。 集客率目的の学芸員や最近の審美眼の持ち合わせていない美術評論家によって芸術というものがあらぬ方向に行かないかと思うと不安でしょうが ない。 芸術における大衆というのはあまりに一般の大衆と比べると少ない。実に操作されやすいのだろう。

真の審美眼を持つものよ!

叫べ!!

miniベーコン